サッカー日本代表
ブラジルで開催される2014年ワールドカップの開催まで早数か月。我らがサッカー日本代表は世界最速でワールドカップ本戦への出場を決めるなど、前回ワールドカップに比べると順調な滑り出しをしていると言えるでしょう。
我らが日本代表はグループリーグでグループCに入りました。相手となる国は、コロンビア、ギリシャ、コートジボワール。海外のサッカーファンからは「死の組じゃなくていいね」なんて言われているようですが、侮ることなかれ。いずれの国も一癖も二癖もある強豪揃いで、どの国もグループリーグを突破する可能性があるエキサイティングなグループです。
このコラムではグループCに所属する4ヶ国のユニフォームデザイン、サッカースタイル、特徴、有名選手や歴史について順にまとめていきたいと思います。
記念すべき第一弾はもちろん我らが日本代表!ワールドカップに向けてぜひチェックしてみてください!
日本代表のサッカーユニフォーム
伝統的に濃い青や紺を基調に赤や白を加えたシンプルなデザインのユニフォームを使用しています。これは、ベルリンオリンピックで格上のスウェーデン代表を破る快挙を果たした際に採用していたユニフォームが青だったため、縁起を担いで青いユニフォームを使い続けているという説が有力です。面白いことに、青以外のユニフォームを着用した時には惨敗が続いたそうです。日本代表にサムライブルーという愛称がつけられたのも、ずっと青いユニフォームを使い続けていることから来ているようです。
昨季のユニフォームは紺色をベースカラーに、中央に1本の赤い縦線が入ったインパクトのあるユニフォームでした。この斬新なデザインのユニフォームには国内外から多くの批判が寄せられ大きな話題となりました。一番の問題点はデザインよりも実用性にあり、体の中央にばっちり目立つ赤い縦線があることで対戦相手から重心を読まれてしまう、さらにはソックスにも同じような赤い縦線があることでパスやシュートの際の足の動きが読まれてしまうという欠点がありました。事実、本田圭祐選手はソックスの縦線をこっそり横に回転させて履いていました。
今季のユニフォームは青をベースカラーに、袖と背面上部ににオレンジとピンクの中間のような鮮やかな蛍光色を配置した、これもまた斬新なデザインのユニフォームを採用しています。このユニフォームの面白いところは、試合前などで円陣を組むと、背面上部の蛍光ラインが繋がって大きな輪になるところです。adidas社のCMでも日本代表選手たちが円陣を組むという演出が使われていましたね。ひとまず、重心を読まれやすい縦線がなくなったことで選手達も安堵しているのではないでしょうか(笑)。
日本代表の特徴とサッカースタイル
近年まではパスの技術を重要視し、ショートパスを多用するスタイルで相手の陣形を崩したり、中盤の選手による芸術的なスルーパスからゴールを奪うという特徴があった日本代表。
最近ではパスの技術にプラスして豊富な運動量と敏捷性を兼ね備え、強靭な肉体や高さを持つ選手や強力なシュートを放つ選手など個性的なタレントを揃えることで、長距離のドリブルから敵陣を切り裂いたり、ポストプレーでゴールを奪ったりと、パスで相手を崩すだけではない柔軟な攻撃的サッカーを実現しています。
日本代表の監督
アルベルト=ザッケローニ監督
イタリアはセリエAのビッグ3と呼ばれる偉大なクラブ、「ユベントス」、「ACミラン」、「インテル・ミラノ」を全て率いた経験のある希少な監督です。イタリアサッカー伝統の守備的スタイルではなく、3-4-3のフォーメーションを用いた攻撃的スタイルでセリエAを制したことで、一躍有名監督の仲間入りを果たしました。その後、日本代表監督に就任するとスピードと連動性に優れた攻撃的サッカーを掲げ世界の強豪と戦える体制を作り上げました。
日本代表の有名選手
本田 圭佑(ACミラン/イタリア-セリエA)
日本代表を牽引するカリスマミッドフィルダー。高いテクニックはもちろん卓越した肉体の強さを持ち、日本人選手としては珍しくほとんど当たり負けをしません。そして彼の最も有名な武器が「悪魔の左足」。高い精度と強烈な威力を併せ持つ無回転シュートは迫力満点です。
香川 真司(マンチェスター・ユナイテッド/イングランド-プレミアリーグ)
日本代表の10番を背負うエース。2列目から素早く飛び出し、確かな技術と冷静な判断力でシュートを決める攻撃的ミッドフィルダーです。抜群のポジショニング、敏捷性、ボールコントロールの全てを連動させることで、相手ディフェンス陣の間をするすると抜け出す様子に注目してみてください。
長友 佑都(インテルナツィオナーレ/イタリア-セリエA)
日本代表の左サイドを守るディフェンダー(サイドバック)。非常に小柄ですが鍛え上げた肉体とバランス感覚で大型選手にも競り負けない上、驚異的なスピードとスタミナで90分間常に敵のフォワードをカバーし続けるため、「エースキラー」とも呼ばれています。
日本代表の歴史
1921年 | 大日本蹴球協會設立 |
1929年 | 国際サッカー連盟 (FIFA)加盟 |
1945年 | 財政難によりFIFA資格停止 |
1950年 | 日本蹴球協会としてFIFA再加盟 |
1968年 | メキシコオリンピック-銅メダル獲得 |
1974年 | 日本サッカー協会(JFA)に名称変更 |
1993年 | Jリーグ発足 |
1994年 | アメリカワールドカップ-アジア最終予選敗退(ドーハの悲劇) |
1998年 | フランスワールドカップ-初の本戦出場権獲得(ジョホールバルの歓喜) |
2002年 | 日韓ワールドカップ開催と初の決勝トーナメント進出(ベスト16) |
2006年 | ドイツワールドカップ-本戦グループリーグ敗退 |
2010年 | 南アフリカワールドカップ-決勝トーナメント進出(ベスト16) |
2014年 | ブラジルワールドカップ-本戦出場決定 |
これまでのあしどり
1960年代までの日本はスポーツへのアマチュア志向が強く、ワールドカップよりもオリンピックに力を入れていました。メキシコオリンピックでメダルを獲得したことでワールドカップでの活躍も目標に入れはじめ、1992年のバルセロナオリンピックから23歳以下という規定が導入されたことにより、以降ワールドカップ重視の方針になったという背景があります。
Jリーグ発足以降の日本代表は山あり谷ありを繰り返しながらワールドカップに挑んでいます。1994年、三浦知良、ラモス瑠偉、中山雅史、北澤豪などの必死の努力も実らず予選敗退を喫した「ドーハの悲劇」。1998年、三浦知良、中山雅史らに加え、城彰二、呂比須ワグナー、岡野雅行、中田英寿というメンバーで臨み、悲願の本戦出場を果たした「ジョホールバルの歓喜」。2002年、中田英寿、松田直樹、宮本恒靖、小野伸二、稲本潤一、三都主アレサンドロなど、若いながらも実力を備えた選手を起用し初の決勝トーナメント進出。2006年、中田英寿、中村俊輔、高原直泰、小野伸二、稲本潤一ら黄金世代と呼ばれる選手を擁しながらも悲劇のグループリーグ敗退。2010年、酷評されながらも本田圭佑、遠藤保仁、大久保嘉人、松井大輔、長友佑都らの活躍により決勝トーナメント出場を果たすなど、いずれの年も劇的な展開があり、大いにサッカーファンを盛り上げています。
そして2014年ブラジルワールドカップ間近。予選突破が当たり前となり、サッカー中堅国の仲間入りを果たしつつある現在の日本代表がどんな戦いを見せてくれるのか、今から楽しみですね。
次回予告
次回は日本代表がグループリーグで最初に対戦する国、コートジボワール代表のユニフォームとサッカーについて取り上げてみようと思います。アフリカ大陸随一のスター軍団ですので、ぜひチェックしてみてください!