神の手、ドーハ、ジョホールバル…サッカー伝説3選

2021年3月1日

神の手、ドーハ、ジョホールバル…サッカー伝説3選


マラドーナに限らず、手を使ってしまう選手も稀にいるようです。

サッカーは次の瞬間に何が起きるか予測できないスポーツと言われています。
試合の流れが予測不可能だからこそ、弱小と言われたチームが時にはジャイアントキリングを成し遂げることもあれば、絶対的な強者と言われたチームが大会の初戦で敗退してしまうことだってあります。
そして、歴史的な大舞台で思いがけない運命のいたずらが起こると、それはサッカーの伝説へと昇華するのです。

こうした伝説を目の当たりにすると「サッカーの神様」や「運命の神様」のような存在が本当にいるのではないかと思えてしまいますね。
さて、今回は数々のドラマを演出したサッカーの伝説をいくつかご紹介しましょう。

■伝説といえば…マラドーナの「神の手」ゴール

時は1986年6月22日、場所はメキシコのアステカスタジアム。舞台はW杯メキシコ大会の準々決勝アルゼンチンvsイングランド戦、伝説のドラマの主役はアルゼンチン代表FWディエゴ・アルマンド・マラドーナ。

ここまで聞けば、サッカーファンの方は語らずしてこのサッカー伝説が何であるかはお分かりになるのではないでしょうか?
そう、このサッカー伝説はいわゆるマラドーナの「神の手」ゴールと、それに続く5人抜きゴールです。
ここで、伝説の経緯を今一度振り返ってみましょう。

神の手

伝説が生まれたのは試合後半6分の時です。
マラドーナがイングランドのGKピーター・シルトンと、ゴール前で浮き球を競り合った際、なんとマラドーナは手を使ってボールをゴールに流し込んだのです。
当然、イングランド側はマラドーナのゴールはハンドの反則だと抗議しましたが、主審は手を使った場面を見逃しており、ゴールを認めてしまったのです。同じゴールを奪うスポーツでも、ハンドボールのルールなら許されるのですが、これはサッカーです。

後日、インタビューを受けたマラドーナは「ただ神の手が触れただけ」とコメントしたのですが、この時の発言が広まって「神の手」ゴールと呼ばれるようになりました。
そして、この伝説はさらなる伝説に続きます。


マラドーナ伝説の神の手(La Mano de Dios)ゴール(再生時間:11秒)

5人抜き

「神の手」ゴールの3分後、センターラインで相手選手からボールを奪ったマラドーナ。
左足だけのドリブルを巧みに駆使してイングランドのDF陣を次々と抜き去ると、最後はGKの守りもかわしてゴールを決めました。これがマラドーナの5人抜き伝説です。

この試合は2-1でアルゼンチンが勝利を収め、準決勝ではベルギーを2-0で下しました。さらには決勝戦で当西ドイツに3-2で勝利。アルゼンチンがW杯2度目の優勝を遂げています。
準々決勝アルゼンチンvsイングランド戦でマラドーナが見せた「神の手」ゴールと5人抜きゴールがなかったら、アルゼンチンの栄冠はあり得なかったでしょう。


【伝説】マラドーナ 5人抜きドリブル(再生時間:28秒)

■日本人には忘れられない2つの伝説

サッカー界における最高峰の大会といえばFIFAワールドカップです。
しかしFIFAワールドカップの本戦に出場するためには数多くの予選を勝ち抜かねばならず、出場のためのハードルは非常に高いものです。

1992年にJリーグが発足し、徐々に力をつけてきた日本代表はワールドカップ本戦への初出場を目指すようになりました。
そんな、協会や選手達が一丸となって懸命に努力していた1990年代に、忘れられない2つの伝説が生まれました。

ドーハの悲劇

1993年10月28日に生まれた「ドーハの悲劇」は、カタールのドーハにあるアル・アリ・スタジアムで行われたアジア最終予選、日本vsイラク戦が舞台です。

1994年にアメリカで開催されるワールドカップ本戦への初出場を目指す日本代表は、まずまずの成績でアジア最終予選を戦い、本戦出場へ王手をかけていました。
しかし、「最終戦のイラク戦で勝利しなければ本戦に出場できない」という微妙な状況であり、引き分けでは駄目だったのです。

試合の前半は、長谷川健太のシュートがゴールポストに当たって跳ね返ったボールを三浦カズがヘッドで押し込み1-0としましたが、55分にイラクに追いつかれて1-1になりました。
後半69分にはラモス瑠偉からのパスを受けたゴン中山がゴールを決めて2-1と再びリード。そして、試合はロスタイムに入りました。
ロスタイムの終了まであと数秒という場面でイラクがコーナーキックのチャンスを得ます。
ここで、イラクのキッカーの選手は直接ゴール前にセンタリングしないで別の選手にパス。
パスを受けた選手がボールを高めに上げ、そのボールにイラクのオムラム・サルマン選手がヘディングで飛び込みました。
無情にもボールはゴールキーパーの松永成立の頭上を越え、ゴールに吸い込まれていきました。

そのまま試合は2-2の引き分けで終わり、日本代表のワールドカップ本戦初出場の夢は消えました。こうして、決して忘れられない「ドーハの悲劇」という伝説が生まれたのです。

ジョホールバルの歓喜

時は過ぎて1997年11月16日、場所はマレーシアのジョホールバルスタジアム。
この舞台で伝説を演出したのは、岡田武史監督が率いる日本代表と前回の宿敵イラク代表です。
この時の目標はもちろん、1998年フランスで開催されるワールドカップ本戦への初出場でした。

日本代表はアジア最終予選B組で苦戦しており、A組2位のイラクとの第3代表決定戦にワールドカップ初出場の希望が残されている状況でした。
イラクとの第3代表決定戦は前半39分、ゴン中山のゴールで先制しましたが、後半早々に同点ゴールを決められ、さらに59分には逆転ゴールを許して1-2と劣勢に追い込まれました。
この時点では、多くの日本代表サポーターの脳裏に「ドーハの悲劇」のシーンが浮かんでいたことでしょう。

ところが、日本代表は不屈の闘志でこの劣勢を跳ね返していくのです。
後半86分、途中出場の城がヘディングでゴールを決めて2-2に追いつき、試合は延長戦に突入。
当時延長戦はゴールデンゴール方式(先に1点入れたチームの勝利)で、岡田監督は規格外のスピードとスタミナから「野人」と呼ばれる岡野雅行を投入して一か八かの勝負にでました。
そして、延長後半残り1分に中田英寿がミドルシュートを放ち、ゴールにならなかったものの、こぼれ球を岡野がスライディングでゴールに押し込みました。
この瞬間に日本代表の勝利が確定。すなわち史上初のワールドカップ本戦出場が実現したのです。

こうして、日本が悲願のワールドカップ本戦出場権を得た試合は「ジョホールバルの歓喜」と名付けられ、日本のサッカーファンの記憶に喜びの伝説として刻み込まれたのです。

サッカーには時代や場所を問わず様々な伝説が生まれています。
1997年、ブラジルvsフランスの試合でブラジル代表のロベルト・カルロスが見せたあり得ない角度で曲がるフリーキック。
2006年、ドイツで開催されたワールドカップの決勝戦-フランスvsイタリアでフランス代表の伝説的選手であるジダンがイタリア代表のマテラッツィに頭突きを行い退場になった事件。
2010年、南アフリカで開催されたワールドカップのグループリーグを、日本代表が初めて勝ち抜くことに成功し、ベスト16に進出するという快挙。
などなど、挙げていけばキリがないほどです。

日々生まれる伝説を目撃するために、ぜひ国内外問わず色々なサッカーの試合をチェックしてみてくださいね。