多くのJリーガーを輩出した全国高校サッカー選手権大会の基礎知識
多くのJリーガーを輩出した全国高校サッカー選手権大会の基礎知識
今でこそサッカーは日本でもメジャーなスポーツとなりましたが、Jリーグが誕生する前は重視されていなかった時代が長く続きました。しかし、実は日本サッカーの歴史を見るとかなり古く、例えば毎年全国で熱戦を繰り広げる全国高等学校サッカー選手権大会の原点は、なんと1910年代(明治時代)にまで遡ります。
選手の生い立ちを見ると、現役・OB問わずJリーガーのほとんどが高校サッカーを経験しています。プロ野球のようなドラフト制度はないので目立ちませんが、毎年多くの高校サッカー選手がJリーグの各チームに入団しています。
この、日本サッカーの原点ともいえる今の全国高校サッカー選手権大会の歴史や基礎知識について述べていきます。
これだけは知っておきたい基礎データ
全国高等学校サッカー選手権大会は高校サッカー部の頂点を決めるサッカー大会で、各都道府県代表(東京都は2校)の48校の参加チームによるトーナメントマッチです。通称として「選手権」、あるいは「冬の国立」、「冬の高校サッカー」などとも呼ばれます。主催は、全国高等学校体育連盟、日本サッカー協会と民間放送43社です。
これまでの記録として残されている最多優勝校(11回優勝)は、兵庫県にかつて存在した、御影師範(のちの兵庫師範学校)です。
全国高校サッカー選手権大会は実に長い歴史があった
明治時代の日本には、英国などからさまざまなスポーツが一挙に渡来しています。1910年代から1920年代の明治・大正の時期に、関西地方で朝日新聞大阪本社と大阪毎日新聞社(今の毎日新聞社)が野球をはじめとする数多くのスポーツイベントを開催しており、サッカーもそのうちのひとつでした。
1918年1月、大阪府の豊中グラウンドにおいて大阪毎日新聞社の主催で、日本フットボール優勝大會が開催されました。当時サッカーは、ラグビーと区別するために「ア式」(アソシエーションフットボールの略称)と呼ばれていました。一説によると、この毎日新聞主催の大阪で始まった大会が、現在のサッカー高校選手権の前身とされています。
一方で同年、関東地区では「關東中等学校蹴球大會=東京蹴球団主催、朝日新聞社後援)、名古屋では新愛知新聞社(今の中日新聞社)主催で「東海蹴球大會」が開催されているので、この「關東中等学校蹴球大會」を高校選手権の前身と見なす説もあります。
なお、当時の学校制度ではサッカー大会に参加したのは師範学校と旧制中学校で、そうなると選手間の年齢というハンデがありました。つまり単純に選手の体力差が大きく、若年の中学校側が不利になって優勝圏に近づけないという問題がありました。
今では大問題になるところですが、当時はあまり問題視されることはなく、毎日新聞主催の「日本フットボール優勝大會」が開催され、第1回大会から第8回大会までは、関西の学校だけが参加していました。
やがて高校サッカーは全国区の大会に
全国的にサッカーの知名度が上がってきたこともあり、1926年(大正15年)の全国中等学校蹴球選手権大会第9回大会から参加チームが全国に拡大され、各地方での予選制が確立されました。
このような経緯のため、当時の強豪校だった御影師範は第1回大会から第7回大会まで七連覇を達成したことが現在でも最多優勝校として記録に残っています。
時は変わり、唯一のサッカー全国大会として認知されたのは、1934年(昭和9年)に毎日新聞社主催の大会に一本化された時点であり、したがって、現在の全国高等学校サッカー選手権のはじまりは、同年の第16回大会からだとも言う解釈もあります。
紆余曲折の連続だった第9回大会から現在までの流れ
先述の第9回大会から全国規模の地区予選制となり、名称も「全國中等學校蹴球選手權大會」と改められた1934年からは大日本蹴球協会が主催に加わりました。それ以降、戦争による中止があり戦後の学制改革で1948年(昭和23)年4月に新制高校が発足し、同年に全国高等学校体育連盟(高体連)が創立されて本大会に主催団体として加わることになりました。
1965年(昭和40年)には高校総体(インターハイ)が誕生し、翌年には高校総体にサッカー競技が加えられたので、秋の国民体育大会サッカー競技高校の部を合わせて三つの高校サッカーの全国大会が存在する状況となりました。
このような動きに合わせて、読売グループが高校サッカーの支援に乗り出し、1970年(昭和45年)には日本テレビ主催で全国の強豪校11チームによる「高校サッカー研修大会」が開催され、JFA(日本サッカー協会)が日本テレビの大会中継を提案し、日本テレビが大会のテレビ中継を行うことになったという経緯があります。
ちなみに、1976年度の第55回大会からは、決勝大会の場を関東に移すことになり、さらに1983年度の第62回大会からは、原則として1都道府県1代表制で実施されるようになり、現在に至ります。
高校サッカー大会の基本ルール
国内の都道府県大会は基本的には9月から11月にかけて行われ、原則として各都道府県予選に優勝した学校が全国大会に出場しますが、東京都だけは2校出場で、総勢48校でのトーナメント方式となっています。
試合時間は 準々決勝までは前後半40分ハーフの計80分で、後半終了時に同点の場合は即PK戦で決着をつけるルールが採用されています。
準決勝は前後半45分ハーフの計90分で、後半終了時に同点の場合は即PK戦になり、決勝は前後半45分ハーフの計90分で、同点の場合は前後半10分ずつ計20分の延長戦を行い、それでも同点の場合はPK戦になります。
大会PRには高校サッカーOBたちがズラリ
今や名実ともに全国的な知名度を持つサッカー大会となった全国高校サッカー選手権大会では、大会PRのためにイメージキャラクター(応援リーダー)を起用しています。
直近のイメージキャラクターで現役のJリーガーでは、第84回(2005年度)が大久保嘉人(国見)、第87回(2008年度)が小笠原満男(大船渡)、第88回(2009年度)が長谷部誠(藤枝東)、第90回(2011年度)が内田篤人(清水東)、第91回(2012年度)が遠藤保仁(鹿児島実)、第92回(2013年度)がキングカズこと三浦知良(静岡学園中退)、第93回(2014年度)が川島永嗣(浦和東)などです。
カッコ内は彼らが所属していた高校名で、ここに登場している人物はすべて、高校サッカーに打ち込んだことのあるプロ選手達です。