サッカーコロンビア代表
グループリーグC組特集第四弾 コロンビア代表のユニフォームとサッカーとは?
激戦区の南米で数々の強豪を打ち倒しワールドカップグループリーグ進出を決めたコロンビア代表。最近まで存在感の薄い国だったコロンビアですが、ここ3年間でFIFAランキング48位から一桁台へと躍進し、一気に強豪国と呼ばれるようになりました。その背景には名将ペケルマン監督による育成とチームマネジメント、それに応える才能豊かな選手たちの登場があります。 br>
華麗な選手たちと名将の作り出す魅力的なサッカースタイルで今世界中から大きく注目されているコロンビア代表を、大会前に予習してみましょう。
コロンビア代表のサッカーユニフォーム
歴代コロンビア代表のユニフォームは黄色をベースとすることが多かったですが、2014年ブラジルワールドカップへ向けたユニフォームも黄色をベースに黒の斜めラインが何本も入った、スポーツらしいデザインを採用しています。第二の黄金時代を迎えつつあるコロンビア代表にふさわしいカラーである黄色とインパクトのある黒の斜めラインが合わさりとても強そうに見えるデザインですね。また、斜めラインはエンブレムにかかる部分ののみ太くなっており、赤いエンブレムを引き立てています。細かいところを見ると、ソンブレロや国鳥のコンドルをあしらった意匠が施されており、細部にかなりこだわったユニフォームと言えるでしょう。 br>
アウェイユニフォームは赤を基調に紺をあしらった情熱的なデザインです。基本的なデザインはホームを踏襲しながらも腕を一周する切り替えを配置したりと、アウェイも細部にこだわって作り上げているようですね。
コロンビア代表の特徴とサッカースタイル
近年までのコロンビア代表のサッカースタイルは日本代表とよく似ていて、中盤からリズミカルにパスを繋いで相手を崩していくスタイルが主でした。しかし、天才と呼ばれた司令塔バルデラマが引退すると、中盤の後継者不足もあり長い低迷期に陥ります。 br>
ところが2012年にペケルマンが代表監督に就任すると、伝統のショートパスを捨てロングレンジパスを多用するダイレクトサッカーに転身。圧倒的な攻撃力を持つタレントの台頭と見事にマッチし、競争の激しいブラジルワールドカップ南米予選を2位で通過するという好成績を残しています。
コロンビア代表の監督
ホセ=ぺケルマン監督
選手としては膝の負傷により若くして引退。家族を支えるためにタクシー運転手など様々な職を転々としながらアルゼンチンの下部リーグの監督して実績を積みました。アンダー世代のアルゼンチン代表監督に抜擢され華々しい活躍を収めると、その後アルゼンチン代表GMやアルゼンチン代表監督を見事に務めあげました。その後、日本代表やオーストラリア代表からのオファーを断り、コロンビア代表を率いています。
コロンビア代表の有名選手
ラダメル=ファルカオ(ASモナコ/フランス-リーグアン)
スペインのリーガエスパニョーラにてアトレティコ・マドリーに所属し、メッシやクリスティアーノ=ロナウドに迫る活躍を見せていたファルカオ選手はコロンビア代表の絶対的エースです。レアル・マドリードやチェルシー、マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッドといった強豪からのオファーを断ってASモナコに移籍。リーグアンや代表でも大活躍していましたが、左膝前十字靭帯を損傷する大怪我によりブラジルワールドカップへの出場が危ぶまれています。
ハメス=ロドリゲス(ASモナコ/フランス-リーグアン)
若くしてコロンビア代表の司令塔を務めるミッドフィルダー。ASモナコ、コロンビア代表の両方でファルカオの相棒として活躍しています。稀有なパスセンスを持ち、コロンビアの英雄バルデラマの後継者(バルデラマ公認)と呼ばれています。パスだけでなくスピードや個人技にも優れ、現代サッカーに必要な全ての要素を備える貴重なプレイヤーと言えるでしょう。
フレディ=グアリン(インテルナツィオナーレ/イタリア-セリエA)
複数の中盤のポジションをこなす、ユーティリティー性あふれるミッドフィルダー。インテル・ミラノにおいて長友選手の同僚であることでも有名ですね。彼の最大の持ち味は「グアリン砲」と呼ばれるミドルシュート。精度が高いとは言えませんが、サッカー界屈指の威力を誇るそのシュートは迫力満点です。
ファン=クアドラード(フィオレンティーナ/イタリア-セリエA)
右サイドバックから右サイドハーフまでこなす、ディフェンダー/ミッドフィルダー。スピードを活かしたディフェンスはもちろん、緩急自在なドリブルから正確なアシストをすることができ、自らも点を取る完成度の高いサッカー選手です。スピードとユーティリティ性の点でセリエAでは長友選手と比較されることも多いプレイヤーです。
コロンビア代表の歴史
1924年 | 大西洋サッカー連盟設立 |
1931年 | 国際サッカー連盟 (FIFA)加盟 |
1936年 | 大西洋サッカー連盟からコロンビアサッカー連盟に名称を変更 |
1950年 | 選手・クラブの引き抜き工作の横行によりFIFA資格停止 |
1954年 | 南米サッカー連盟所管大会への代表・クラブチームの排除措置 |
1960年 | 南米サッカー連盟所管大会への代表・クラブチームの参加解禁 |
1974年 | ワールドカップ1986の開催地に決定 |
1983年 | ワールドカップ参加国枠の拡大による資金不足とスタジアムでの銃撃事件の発生によりメキシコ開催に変更 |
1987年 | コパ・アメリカ-3位 |
1990年 | イタリアワールドカップ-決勝トーナメント進出(ベスト16) |
1994年 | アメリカワールドカップ-グループリーグ敗退 |
1994年 | コロンビアに帰国した代表選手エスコバルが射殺される(エスコバルの悲劇) |
2001年 | コパ・アメリカ-優勝 |
2014年 | ブラジルワールドカップ-本戦出場決定 |
これまでのあしどり
1980年頃までのコロンビア代表はリーグや協会のゴタゴタにより強化がうまくいかず、南米最弱の国の一つと言われる状態でした。転機は1980年代、”英雄”カルロス=バルデラマの登場です。バルデラマの牽引するコロンビア代表は、1987年にコパ・アメリカで3位を獲得すると、1990年のイタリアワールドカップにて強豪ひしめくグループリーグを突破し、実に28ぶりとなる本戦出場を果たしました。ところが、1994年のアメリカワールドカップで悲劇が起こります。影の優勝候補と目されながらもあっけなくグループリーグで敗退。ファンからの襲撃を恐れて代表選手が帰国を見送る中、同大会でオウンゴールを喫してしまったバルデラマが説明責任を果たすため一人帰国しましたが、コロンビアのバーで射殺されてしまう大事件が発生しました。 br>
バルデラマの引退やエスコバルの悲劇により再び低迷の時期を迎えたコロンビア代表でしたが、若手育成の充実と積極的なスカウティングの結果、ラダメル=ファルカオやフレディ=グアリン、ハメス=ロドリゲスなどのタレントが登場。豊富なタレントを名将ペケルマンが率いることにより、ブラジルワールドカップの南米予選をアルゼンチンに次ぐ2位で突破する成果を挙げています。快進撃を続けFIFAランキング4位にまでなったコロンビア代表は、グループCの中では日本にとって最大の難関となるでしょう。
次回予告
今回でブラジルワールドカップ―グループリーグC組特集―は終わりになりますが、ワールドカップに向けて別のグループや別の注目国の特集を行う予定もありますので、ぜひぜひチェックしてみてください!