独断と偏見で選んだサッカーレジェンド選手20+1

2017年9月6日

独断と偏見で選んだサッカーレジェンド選手20+1

全世界的なメジャースポーツであるサッカーの長い歴史は、数々の名試合や名選手が紡いできた歴史でもあります。

中でも圧倒的な実績を残したサッカー選手たちはサッカーのレジェンドとして今も語り継がれています。ただし、それが誰のことかとなると価値観によって分かれるところなので、一概に言えない部分もあります。

そこで今回は、僭越ながら独断と偏見で20名のサッカーレジェンドを選んでみました。なお、紹介は基本的にはアイウエオ順で敬称は略しています。

日本・世界のサッカーレジェンド-前半10人

エムボマ:パトリック・エムボマ(1970年11月15日~ )
カメルーン出身の元同国代表サッカー選手です。1997年にガンバ大阪に移籍すると圧倒的なスピードとテクニックで28試合25得点を挙げ、Jリーグ得点王、Jリーグベストイレブンとなりました。その衝撃的なプレーに対し元日本代表の中田英寿氏が「あんなのがサッカーやるなんて反則だ」とコメントしたことで知られています。

奥寺康彦:(1952年3月12日~)
元日本代表で、今はサッカー指導者である秋田県鹿角市出身のレジェンドです。1977年10月、ドイツのFCケルンに入団して10月22日に先発デビュー。シュバルツバイス・エッセン戦で初ゴール(2得点)を記録し、1977-78シーズンのリーグ優勝とドイツカップ優勝の二冠に貢献しました。正確なテクニックと安定したプレーから「東洋のコンピューター」の異名を取りました。海外で活躍する日本出身のサッカー選手の草分け的存在です。

カズ:三浦 知良(1967年2月26日~)
静岡県静岡市葵区出身のサッカー選手です。ブラジルのサントスFC、ヴェルディ川崎、イタリアのジェノアなどを経て、現在は横浜FCに所属。2015年11月現在、今もプレーを続ける日本の最年長プロサッカー選手です。若い頃から単身ブラジルに渡りプロとして活躍、ブラジル仕込みの高いテクニックと超人的な精神力でJリーグや日本代表でも大きな実績を残し、今では「キング・カズ」と呼ばれています。実績と知名度、どれをとっても文句なしのレジェンドですね。

カーン:オリバー・カーン(1969年6月15日~)
ドイツ・カールスルーエ出身で、世界的に有名なゴールキーパーです。超人的な集中力、ポジショニングの良さ、シュートへの対応力、1対1の強さ、パンチングで味方に有利な場所にボールを弾く技術など、全てを高いレベルで備えており、ドイツ出身のゴールキーパーでは最も多くのタイトルを獲得したと言われています。2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加し、ワールドカップ最優秀ゴールキーパーに輝いています。

C・ロナウド:クリスティアーノ・ロナウド(1985年2月5日~)
ポルトガルのフンシャル出身でポルトガル代表やレアル・マドリードで活躍するサッカー選手です。圧倒的なスピードと身体能力に加え、世界最高峰のドリブル技術や相手ディフェンダーとの駆け引きの巧さを持っている上、長短問わず放つ強烈なシュートやヘディングなど、エリアを問わず攻撃が可能。世界で最も完成された万能型フォワードと言えるでしょう。リーガ・エスパニョーラやUEFAチャンピオンズリーグで数々の得点記録を打ち立てている世界的レジェンドです。

ジダン:ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン(1972年6月23日~)
アルジェリア出身ですがフランス国籍を持ち、フランス代表やレアル・マドリードで活躍したサッカー選手です。超人的なトラップやドリブルの技術、長い手足としなやかな筋肉、卓越したボディバランスを持ち、そのプレーはクラシックバレエに例えられる程です。個人・チームを問わずほぼ全ての主要タイトルを獲得した誰もが認めるレジェンドです。しかし、瞬間的に頭に血が上りやすいことで知られ、2006年W杯決勝での頭突き事件はあまりにも有名です。また、14枚のレッドカードを受けたという伝説の持ち主でもあります。

ジーコ:アルトゥール・アントゥネス・コインブラ(1953年3月3日~)
ブラジル出身で、ブラジル代表や鹿島アントラーズで活躍したサッカー選手です。現在は監督しても活躍しており、日本代表監督を務めたことでも有名ですね。現役時代は、世界最高とも言われる程の高いパスの技術やフリーキックの技術を誇り、パスを出すタイミングや場所も抜群。さらにはフォワードに匹敵する程の得点能力も持ち合わせており、かのペレに「私に最も近い」と言わしめる程でした。

ストイコヴィッチ:ドラガン・ストイコビッチ(1965年3月3日~)
セルビア(旧ユーゴスラビア)のニシュ出身で、日本では名古屋グランパスの選手として大活躍、その後監督も務めました。現役時代はサイドからの攻撃の組み立てや、変幻自在なドリブルからの突破を得意とし、1992年フランスのオリンピック・マルセイユ所属時代にはUEFAチャンピオンズリーグを制しています。キャンプの朝食に納豆が出なかったことで激怒する程、納豆が大好きなことで有名です。

中田英寿:(1977年1月22日~)
山梨県甲府市出身、日本代表やイタリアのローマやフィオレンティーナで活躍したサッカー選手で、ヒデの愛称で知られています。戦術眼の鋭さや高い身体能力とテクニックに加え、決定力も兼ね備えており、ミッドフィルダーでありながらイタリア挑戦の1年目で10得点以上を挙げるなど、海外主要リーグに挑戦した日本人として大きな実績を残しました。イタリア語と英語が堪能で、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、ロシア語でも簡単な会話ならOKという、本当の意味での国際人です。

ネイマール:ネイマール・ダ・シウバ・サントス・ジュニオール(1992年2月5日~)
ブラジルのサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス出身で、ブラジル代表やFCバルセロナで活躍するサッカー選手です。フェイントを主体としたトリッキーなドリブルが特徴で、観客を魅了するファンタジックなプレーで数々の得点を挙げています。そのプレースタイルや独特でお洒落なファッションからとても人気がある選手で、Twitterのフォロワー数はなんと約1170万人にも及びます。

日本・世界のサッカーレジェンド-後半10人

ハメス・ロドリゲス:ハメス・ダビド・ロドリゲス・ルビオ(1991年7月12日~)
コロンビアのククタ出身で、同国代表やレアル・マドリードで活躍するサッカー選手です。味方を活かす長短自在のパスや自ら得点を決める攻撃力はもちろん、攻撃を組み立てる戦術眼に卓越したものがあり、驚異的な数のアシストを記録しています。2014年のW杯ではコロンビア代表のエースとして活躍。グループリーグで日本代表を相手に1アシスト1ゴールの大活躍をしたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。また、優しい性格と端正なマスクで非常に人気のある選手です。

ペレ:エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント(940年10月23日~)
ブラジルの元サッカー選手として数々の記録を打ち立てたレジェンドで、世界中で知られています。ブラジル代表のエースとして3度のFIFAワールドカップ優勝の経験があり、15歳でデビューしてから1977年に引退するまでの22年間で通算1363試合に出場し1281得点を記録。その圧倒的な実績からサッカーの王様と呼ばれています。1950年のブラジルW杯でブラジル代表がウルグアイ代表に負けた試合、少年だったペレは彼の父親と共に観戦していたのですが、泣き崩れる父親に対し「そんなに泣かないでよお父さん、僕が優勝トロフィーを取ってきてあげるから」と言ってなぐさめ、後日本当にW杯優勝を成し遂げた逸話はあまりにも有名です。

ベッケンバウアー:フランツ・アントン・ベッケンバウアー(1945年9月11日~)
ドイツ(旧西ドイツ)出身のレジェンドで、同国代表やバイエルン・ミュンヘン<で活躍したサッカー選手です。守備的ミッドフィルダーやディフェンダーでありながら守備だけでなく攻撃を組み立てる司令塔の役割を果たし、自ら攻撃も行う「リベロ」システムで伝説を築きました。ピッチ上で味方の選手たちを鼓舞し、守備に攻撃にタクトを振るう姿とオーストリア皇帝フランツ1世と同じファーストネームなので、皇帝と呼ばれました。

ベッカム:デイヴィッド・ロバート・ジョゼフ・ベッカム(1975年5月2日~)
イングランド出身で、イングランド代表やレアル・マドリードで活躍したサッカー選手でした。世界最高とも言われる正確無比なパスやフリーキックの技術を持ち、数々の得点やアシストを量産。スタミナや走力にも優れており、守備でも貢献度の高い選手でした。現役時代からモデルとしても活躍したことでお馴染みの大スターですね。2015年の経済誌フォーブスによると彼の2014年の年収は約5080万ポンド(約91億円)とされる超セレブです。生き様、エピソードの全てが絵になるレジェンドです。

マラドーナ:ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(1960年10月30日~)
アルゼンチンの首都ブエノスアイレス出身で、アルゼンチン代表やボカ・ジュニアーズ、FCバルセロナ、ナポリなどで活躍したサッカー選手です。バランス感覚とドリブルの技術に優れ、足にボールがくっついているかのようなドリブルで数々のディフェンダーを抜き去る姿が印象的でした。1986 FIFAワールドカップでは準々決勝のイングランド戦の試合は、有名な「神の手」ゴールと5人抜きドリブルを記録した試合として知られています。ちなみに、神の手は使わなくてもゴールを決めていたのではないかというのがもっぱらの声です。

メッシ:リオネル・アンドレス・メッシ・クッチッティーニ(1987年6月24日~)
アルゼンチンのサンタフェ州ロサリオ出身のイタリア系住民で、同国代表やFCバルセロナで活躍するフォワードです。世界最高のディフェンス陣ですらファウルをしないと止められない、と言われる程のドリブル技術と一瞬での加速力を持っており、多くの相手選手に囲まれた状態でのボールコントロールやオフェンスに天才的な才能を発揮します。2014 FIFAワールドカップではアルゼンチン代表の準優勝に貢献し、ゴールデンボールを受賞、2008年の北京オリンピックでは金メダルを獲得しています。

ラモス瑠偉:ラモス・ルイ(1957年2月9日~)
ブラジル出身の元サッカー選手で、Jリーグの前身である日本サッカーリーグ時代よりブラジルから日本に渡り活躍。得点王とアシスト王の二冠獲得や、日本に帰化してからの日本代表への選出と活躍から、その名は日本サッカー界では超有名です。Jリーグ発足以前からセルジオ越後らと共に全国で少年サッカー教室を開き、日本のサッカー文化や人気へ多大な貢献をしています。彼の日本語はまさにネイティブで、心から日本を愛している言動は多くの人の心をつかんでいます。

ロッベン:アリエン・ロッベン(1984年1月23日~)
オランダのフローニンゲン州ベドゥム出身で、オランダ代表やバイエルン・ミュンヘン<で活躍するサッカー選手です。陸上のトップ選手並の爆発的なスピードが特徴で、100mを10秒台で走るほどの俊足と、そのスピードで正確にボールをコントロールし、シュートまで持って行く技術を兼ね備えています。十分なスペースがある状態で彼にボールが通ると誰も追いつけなくなってしまうため、彼一人だけのカウンターであっさりと試合を決めてしまうこともしばしばある程です。世界最高のウインガーの異名を持つ、韋駄天フォワードの最高峰とも言えるレジェンドです。

ロナウジーニョ:ロナウド・デ・アシス・モレイラ(1980年3月21日~)
ブラジルのポルト・アレグレ出身で、同国代表やACミラン、FCバルセロナなどで活躍したサッカー選手です。南米特有の高いテクニック、極端な緩急のある独特のドリブル、予備動作の少ないパスやシュート、創造性溢れる自在でトリッキーなプレーなどが特徴で、ポジションにすら縛られない自由なプレーで得点やアシストを量産しました。試合中もサッカーを楽しむことを忘れず、笑顔でプレーすることも印象的な選手です。

ロナウド:ロナウド・ルイス・ナザリオ・ジ・リマ(1976年9月22日~)
ブラジルのリオデジャネイロ市出身で、ブラジル代表やレアル・マドリードで活躍したサッカー選手です。瞬発力・トップスピード・身体の強さ・バランスの良さ・テクニックの全てを世界最高峰のレベルで兼ね備えており、困難な状況からでも簡単にゴールを奪う姿にフェノメノ(超常現象)という異名が付けられる程でした。なお、レアル・マドリード時代のチームメイトであったジダンとともに、2003年から国連開発計画(UNDP)の親善大使として貧困撲滅キャンペーンとチャリティマッチを開催していることでも知られています。

最後に紹介するレジェンド+1人

以上、20人のレジェンドたちを独断と偏見で選びました。
最後に残る1人は日本のレジェンドである釜本邦茂(1944年4月15日~)です。
日本サッカー史上最高と言われたフォワードで、強烈で正確なシュートを武器に1968年メキシコオリンピックで7得点を挙げ、日本の銅メダル獲得に大きく貢献しました。他にも日本サッカーリーグ得点王7回、日本最優秀選手7回という輝かしい成績を持つレジェンドです。